メールマガジン「幸山せいしマガジン」

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「歴史に向き合うということは勇気が必要」

2015年09月15日

皆さんこんにちは。先月末の台風は大丈夫だったでしょうか?風が強く大きな被害が出ました。台風にはまだまだこれからも注意が必要です。被害に遭われた方々には心よりお見舞い申し上げます。


『幸山せいしマガジン vol.124』をお届け致します。

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 [1]コウヤマノート(幸山政史がメルマガ用に特別に書き下ろしています)
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先月は十数年振りに台風が熊本を直撃し、尊い人名を奪い、収穫目前の農作物が全滅し、樹齢100年を超えるシンボル的な樹木が根本から折れる等、県内各地に深い爪痕を残しました。そして先日の関東から東北地方を襲った記録的な豪雨では、何ヵ所も河川堤防が決壊し、浸水被害が広範囲に及びました。逃げ遅れた人たちがヘリコプターやゴムボート等で救助される様子が中継されていましたが、それをテレビで観ながら、やはり3年前の九州北部豪雨災害を思い出していました。
 この3年余りの間にも、台風や集中豪雨、竜巻等の自然災害は、全国各地で頻発しています。「私たちは自然を都合よく利用しているだけではないのか、そのしっぺ返しを受けたのでは」これは、あるテレビドラマにおける、東日本大震災後のシーンでの台詞です。これらの脅威は、私たちが生み出したものと捉えて、もっと謙虚に自然と向き合う必要があるようです。
また、東日本大震災の時もそうでしたが、九州北部豪雨でも、一日も早い復旧復興のためにと、多くの人たちが応援に駆けつけてくれます。常総市や大崎市等の被災地でも、既に活発な動きが始まっていることが紹介されていました。
一日も早い復旧・復興を心からお祈り申し上げます。

向き合うといえば、「歴史に向き合うということは勇気が必要」と、ある人からいただいたメールに、そう書いてありました。今年は戦後70年であり、被爆からも70年。安保法案制定の動きも重なってか、この夏はかつてないほど、負の遺産でもある戦争について考える機会が多かったようです。県立美術館では、戦後70年記念として「浜田知明のすべて」が、先月から開催されていました。すぐに行きたいと思いましたが、開催期間も残り少なくなった先週、ようやく鑑賞する機会を得ました。
 1917年に上益城郡御船町で生まれた作者は、中国大陸での戦争体験を、1950年代に銅版画「初年兵哀歌」シリーズとして発表。97歳を迎えた今も、熊本の地で世界の動きや人間を見つめながら、戦争体験をベースとした数多くの銅版画や彫刻を創作し続けておられます。
作品を紹介できる眼力やセンスを、私は残念ながら兼ね備えてはいませんが、自らの体験を多くの人に伝えようと、一つひとつの作品に思いを込めておられることは、さすがの私にも伝わりました。主な作品には作者へのインタビューが紹介されており、その内容と作品とをじっくりと見比べながら進み、全てを見終えた時には2時間ほどが経過していました。
作者の込めた思いとは、戦争の愚かさや理不尽さ、虚しさ、それらに対する怒り、そして、その歴史的な事実が美化されたり、風化しようとしていることに対する警鐘でもある、そう私は感じました。時にはその警鐘は、戦争責任者にもなり得る政治家に対して、ストレートに向けられていました。関係ないものとして、無意識にそのメッセージを避けようとする自分に気付きましたので、それらの作品には、特に時間をかけて正視するように心がけました。
芸術活動を通して、戦争という歴史に向き合い続けて来られた方に、先のメールを確認する意味で、「これまで勇気が必要でしたか」そう尋ねたい衝動に駆られましたが、仮に会えたとしても、面と向かうと恥ずかしくて聞けなかったでしょう。もしかしたら全く違う答えや、もっと深い答えが返ってきたかもしれません。

最近も講演や視察等で県内各地を廻っていますが、先月は水俣市を訪れました。そこでは、水俣病という今も続く歴史に、正面から向き合い続けている人たちにお会いしてきました。水俣病は、二度の政治決着や、幾度とない裁判の判決をもってしても、決して終わってはいません。もちろん解決に向けて積み重ねられてきた努力を全て否定するつもりはありませんが、未だに被害の全容すら明らかになっていない現実があります。そんな状況で、来年は水俣病の公式確認から60年を迎えます。その節目を契機に「区切りをつけて未来志向で」と発想したくなるものですが、終わらない現実から目を逸らすことなく、解決に向けた努力を続ける、ずっと向き合い続ける、そのことが大事なような気がしています。
亡くなられた原田先生から「知ってしまった責任」という言葉を何度か聞いたことがあります。強い責任感、使命感を最期まで貫き通されました。熊本で生まれ、暮らす私たちが、勇気と責任感を持って、水俣病という現在進行形の歴史にも向き合っていかなければならないことを、先生からは教えられたように思います。

歴史と向き合おうとすると、新たな真実に直面し、自らの無知を恥ずかしく感じることがあります。また、時には、過去の誤りを認めなければならないような状況に追い込まれることもあるのかもしれません。どんな状況になろうと、決して目を逸らさずに向き合い続けるためには、相当な覚悟と、勇気ともいえる強い精神力が求められる。先のメールにはそんな意味が込められていたのだろうか、勝手にそんな解釈もしてみました。

今は、私自身の政治家としての20年間を振り返り、向き合っているところでもあります。そして、次の一歩を踏み出す時期は近付いているようです。

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   [2]コウヤマdata    「政治家としての出処進退」━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
 幸山さんは常に「政治家としての出処進退」は自ら判断しなければならないと言い続けて来ました。実際に政治家としての20年間で出処進退に関してこれまで3つの大きな決断をしました。

 ①平成6年、銀行員を辞して県議会議員という政治の世界に踏み出そうと考えたとき。
 ②平成14年9月、県議会議員を辞職して熊本市長に挑戦しようと決意したとき。
 ③平成26年6月、3期12年の熊本市長に終止符を打つことを決めたとき。

 いずれに関しても、「状況はそれぞれ異なるものの、誰とも相談することなく一人で決めたこと、タイミングや有利不利を考えることは一切なかったこと、揺らぐことのない信念・覚悟を持っていたこと、といった共通点が確かにあった。」と語っています。

 「次の一歩を踏み出す時期は近付いているようです。」と上にコメントが出ていますが、4つ目の大きな決断もこれまでと変わらずに、自らの判断であり、また共通点も変わりません。それは幸山さんとずっと一緒にいればいるほどその通りだとわかってきました。

 メルマガ読者の皆様、「次の一歩を踏み出す4つ目の決断」が出ましたら皆様にもお知らせ致します。いつもメルマガを読んで頂き本当にありがとうございます。

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編集後記 最近は朝と夜は窓を開けて、涼しい秋風と虫の音を楽しむことができますね。季節の変わり目です。ご自愛ください。(大橋)
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