今、新たな挑戦へ―幸山市政3期を総括

平成14年、熊本市長初当選を果たし、走り続けてきた12年。12月2日に任期満了を迎え、通い慣れた庁舎を後に新たなスタートを切りました。これまでの政治家としてのあゆみを振り返り、3期にわたる幸山市政を総括するインタビュー特集。幸山政史のストレートな思いをご紹介します。

コウヤマノートにみる決断の前触れ 政治家として自分の言葉に責任を持つ

―当選する前は、挑戦的な言葉もあり、周囲の反発も覚悟の上で発言をしていたわけですが、就任後には言葉に慎重になった時期もありましたね。最近の発言やコウヤマノートを拝見すると、かなり発言が自由になっている印象ですが、いかがですか?

公式サイト内に書き綴った思いを自らまとめた「コウヤマノート」も完成

幸山:首長である以上は、すべての発言に責任を持たねばならないわけですね。コウヤマノートについては、もう13年ほど執筆していますが、市長になる前の一年間半は今読み返しても面白いんですよ。最初の頃は、県議会の報告などを綴っていたんですが、その後だんだん言葉が過激になっていきました。政治家としてのストレートな表現や率直な思いがにじみ出ているところがありますね。市長選に出馬を決める直前にもそういった表現が多く見られますが、結果的にそういう思いが決断につながったのではないかと思っています。

 今回の辞めるという決断も政治的に大きな判断でしたから、そういった背景が言葉やコウヤマノートにも現れているのかもしれません。自由というよりも、また次の挑戦に向けた心の変化ということかもしれませんね。

 今回、不出馬を決めた大きな理由の一つは、多選に対して批判的なことを言い続けてきた自分の言葉に対して責任を取るということです。

 信頼される身近な政治家を目指し、市役所としても同様のことを発信してきました。信頼の根幹とは、言動に責任を取れるかどうかだと考えています。多選の弊害に対しては、多選禁止条例を作ったわけではありませんし、コウヤマノートでも積極的な発言を続けてきたわけでもありませんが、そういった発言をしたことは事実ですので、責任を取らなければなりません。

 また、熊本市としても政令指定都市になり、新たな発想が必要な時期であろうとも思いましたし、私自身ここで一旦けじめを付けて、新たな挑戦をしたいと考えたことも理由の一つです。不出馬表明の際に「今後も政治家であり続けたい」と語ったことは、その現れだったといえますね。

―12年間の市長在職期間中、数多い改革の中でも印象に残る事業や制度について聞かせてください。

幸山:私自身、公平公正を徹底してきた中で、公園を設置するにしても、福祉施設整備の優先順位を付けるにしても、それを評価するため、あるいは外部からの圧力に負けないような仕組みから作りました。

 住民との直接対話は、市役所と住民の距離を少しでも縮めることができた一方で、私にとって財産になりました。

 また、さまざまな行政改革を通して、財政の健全化についてはある程度の道筋を付けることができたのではないかと思います。“聖域なき見直し”をやってきたので、そこで住民から非常に厳しい指摘を受けることもありましたし、議会で否決されることもありましたが、次世代への責任といった観点からも、強い意思を持って取り組んできました。

2010年3月、城南町・植木町との合併により新市が誕生した。政令市実現に向けて大きく前進

 後は、合併・政令指定都市ですね。失敗からのスタートでしたが、諦めることなくコツコツと進めました。よく「一歩一歩」「一喜一憂せず」という言葉で表現しましたが、とても厳しい局面に立たされることもありましたし、僅かな前進で喜んだりもしました。その後、富合から植木と合併が決まり、やれやれと一息つくと、区割りや区役所の位置等でかなり揉めました。それも議論を繰り返しながらクリアし、念願の政令指定都市を実現することができたのです。これは就任直後からずっと抱えてきた課題でしたので、それを形にできてよかったと思っています。

2012年7月、大きな被害をもたらした九州北部豪雨は防災対策に数多くの課題を残した

 忘れてならないのは、九州北部豪雨災害ですね。防災に関しては、他のどこの首長にも負けないと自負するほど、徹底して取り組んできたつもりでした。毎年1月17日の阪神・淡路大震災の日には、早朝から職員を招集する訓練を実施したり、地域で防災訓練も行っています。以前から白川河川敷で、自衛隊や日赤、県警、消防などの防災関係機関が一堂に会して行っていましたが、地域で市民の皆さまが主となったきめ細かい防災訓練も必要と、「まなぼうさい」を始めました。

 市長として、市民の生命・財産を守ることが最も重要な役割だと自覚していたはずなんですが、経験したことのないような豪雨とはいえ、あれだけの被害が生じてしまい、あの混乱の中、避難指示の発令が遅れてしまったことは、「これまでやってきたことは、何だったのか」と、大いに反省させられる出来事でした。熊本市では死者や負傷者が発生しなかったことは、救いでしたが、そのことを踏まえて、さらに徹底した防災対策に着手しました。

 そのほかにも、九州新幹線全線開業や熊本城本丸御殿の復元などの場面に、市長として立ち会えたことは、とても幸せなことだったと思っています。

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