今、新たな挑戦へ―幸山市政3期を総括

平成14年、熊本市長初当選を果たし、走り続けてきた12年。12月2日に任期満了を迎え、通い慣れた庁舎を後に新たなスタートを切りました。これまでの政治家としてのあゆみを振り返り、3期にわたる幸山市政を総括するインタビュー特集。幸山政史のストレートな思いをご紹介します。

密かに胸に抱き続けた首長への憧れ 全てを失う“怖さ”を乗り越え、初当選へ

―3期12年にわたる任期、お疲れさまでした。まずは、37歳で県議会議員を辞めて、市長選に出馬した当時の心境についてお聞かせください。

幸山:政治家を志したのは、29歳の時です。55年体制の崩壊と新たな政治の胎動に刺激を受けた一人でした。当時は東京で銀行に勤めていましたが、熊本に戻り、半年後の県議会議員選挙に当選させていただきました。決して人に語ることはなかったのですが、まだ議員になって間もない頃から、いつか首長になりたいという夢を持つようになったんです。

 当時は福島譲二さんが知事をなさっていた時代で、議会あるいは記者会見の場等での知事の受け答えを見ながら、自分ならどのように答え、判断するだろうか、と考えるようになっていました。ある意味ではイメージトレーニングのようなものですね。

 県議会議員の仕事に十分やりがいを感じていた一方で、限界も感じつつ、「いつかは首長という立場になってみたい」という胸に秘めた思いを抱くようになっていました。

 そんな中で、平成14年11月の熊本市長選というチャンスが巡ってきたんです。当時、前市長が3期目を目指して、一番脂の乗り切った時期だともいわれていて、現職の再選で間違いないという雰囲気がまん延していました。しかし一方では、公平公正の面で市政の在り方が問われ、財政面では非常に厳しい状況にあり、九州新幹線全線開業や政令指定都市などに向けた具体的な動きも見えない状態で、市民だけでなく自分自身も不満を感じていたのは事実です。いわば“諦め感”とでもいうような空気が、熊本市全体を覆っていたように感じていました。

 決断する半年以上前から、自分自身の中で、首長という自らの夢と今の市政が抱える問題について、真剣に悩み、考えるようになったんです。

 その頃、県議会議員としての経験を積み、政治の面白さも感じていた時期だっただけに「市長選に出て負ければ、その全てを失ってしまうのではないか」との怖さがありましたね。しかし使命感もある。その怖さをいかに振り切るかがとても難しかったんですが、悩みに悩んだ結果、「やるしかない」という答えを手にしたんです。

 「もし当選できなかったとしても、また4年後に挑戦するだけだ」という結論に至り、迷いを振り切ることができました。

―当時、全てを失う「怖さ」があったとは初耳です。

幸山:もちろんありましたよ。県議会議員に立候補した時は、今思えば甘かったですね。銀行員を辞めて、政治という新しい舞台に飛び込む不安はあったものの、怖くはなかった。それは、父が県議会議員として7期28年を務めた地盤があったからです。決して父から勧められたわけでも、後援会から声が掛ったわけでもなく、自らの決断に基づく行動ではありましたが、そこには父が築いた地盤が間違いなくあったんです。そうでなければ、わずか半年間の運動で、29歳で政治経験ゼロの人間が当選することはあり得なかったでしょう。私自身もそれを頼って帰熊した部分もありましたから、「怖さ」はほとんど感じることがありませんでしたね。

 しかし市長選の際は、県議会議員としての周囲の期待の高まりも感じていただけに、それもゼロに帰してしまうのではないかと恐れました。ただ「やらなければならない」「やりたい」という思いが怖さを上回ることとなり、結果的に決断することができました。

 決断したのは選挙の1カ月半前。当選した後に評論家の皆さんから「絶妙のタイミングでしたね。狙っていたでしょう」等と言われましたが、決してそうではなくて、迷いを払しょくし、怖さを振り切るために直前まで時間がかかっただけなんです。

―それは、政治家としての経験があり、政治を分かってきていた時期だけに、難しかったということですね。

幸山:そうですね。難しさ、大変さも分かってきた一方で、「それでもやらなければならない」という自分でも抑えきれない使命感がわき上がってきて、決断に踏み切ったということです。

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